中2の夏休みに過呼吸、

9月と12月に登校拒否と、

精神疾患の前兆と思しき症状が出始めていました。
人の視線が怖い
年も冬休みも明けた、中2の1月。
久しぶりに通学路を歩いた私は、異変を感じました。
そこを歩く同じ学校の生徒たちに、悪口を言われているような気がしたのです。
過呼吸の原因が思い当たらないように、このことにも思い当たる節がありませんでした。
談笑している人は私の悪口で盛り上がっていて、みんな私を観察して悪口を言うポイントを探っている。そう感じました。
恐怖や緊張で頭の中が真っ白になり、そのせいでうまく歩けなくなったような気がして、それでさらに悪口を言われているような気がしました。
そんな日々が続き、次第に教室でもクラスメイトに恐怖心を抱くようになりました。
ヒソヒソと話す人がいれば、私の悪口を言っているのだと疑ってやみませんでした。
しまいには、小学生や犬の散歩中の人、コンビニの店員など、すべての人が恐怖の対象になっていました。
全員が全員、私の悪口を言ったり、私を悪く見ていると思いました。
そして私は、家の外に出られなくなりました。
学校に行けない日々
それでも学校には行かなければいけません。正当な理由なく休むわけにはいきません。
私は母に、車で学校まで送るように頼みました。
しかし学校が近づくにつれ、頭がクラクラし、吐き気をもよおします。
車から降りようにも降りられません。
母はしばらく仮病だと思っていたようで、「また今日もか」と言わんばかりに、シフトレバーを動かしながら溜め息をつきました。
親子で異常を認識した日
そんな日々が続いたある日、私は車の中で、声をあげながら泣きました。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら泣きました。
学校に行きたいのに行けない、行かなければいけないのに行けない、という状況に、限界を迎えたのでした。
助手席で泣きじゃくる私を見た母は一言、こう言いました。
「アンタおかしいよ。病院行こう。」
溜め息はつきませんでした。
自分では病気とまでは思っていなかったけれど、何かがおかしいことには気付いていました。
それを母にも気付いてもらえたことで、自分がおかしいことを一人で抱え込まなくていいのだと、少し肩の力が抜けたような気がしました。
ここから病気との闘いが始まりました。