9歳の初恋の相手は、理学療法士のお兄さんでした。

小3のとき、整形外科に通ってたんです。学校でドロケイをしてたら友達の足に引っかかって転んで、腕の骨を折ってしまって。

そこで私は、初恋を経験しました。骨折の経験も初めてだったんですけど。

初恋の相手は新卒の理学療法士のお兄さん

私の初恋の人は、整形外科で働く理学療法士のお兄さんでした。当時23歳の新卒社員です。

そのとき私は小3、つまり9歳ですので、私とは14歳離れてます。

“好青年”という言葉がぴったりな人

お兄さんは色黒で、黒髪の短髪で、体格が良くて、声が大きくて話し方がハキハキしてて、“好青年”という言葉がぴったりな人でした。子供ながらにすごく“男”を感じてしまって、リハビリに行く目的が“お兄さんに会うこと”になってました。

お兄さんの好きなトコ

お兄さんの好きなところは、いつでもどこでも爽やかなバカデカボイスで私の名前を呼んでくれるところ。

私を見つけたらほかの患者さんを差し置いても「長月ちゃん!!こんにちは!!」って声をかけてくれるし、私が目で追ってるのに気付けば「ヨッ」って感じで爽やかに笑いながら手をちょこんと挙げてくれるし。もう、ドキドキが止まらないよね。

こんな感じで、業務外のコミュニケーションを積極的に取ってくれるんですよ。私にだけ神対応してくれるの。間違いなく「私にだけ」。付き添いの母も言ってたもん。「いつもアンタに声かけてくれるね」って。

こんなん、沼るしかないでしょ?

理学療法士に恋をしたら整形外科通いが生きがいになる

お兄さんに恋をした私にとっては、診察なんてどうでもいいわけです。症状の経過もどうでもいい。ただお兄さんに会えればそれだけでよかった。リハビリに行くことが、整形外科に行くことが、私の生きがいになってました。

だけど恥ずかしがりだからね、リハビリの担当がお兄さんの日にはそわそわして滝汗をかいてました。そのわりに、何を色気づいたのかミニスカートを穿いて行くこともありました。

腕の骨折が治ったと思ったら今度はオスグッドシュラッター病という膝の病気になって、整形外科通いを続けてたんですよ。脚のリハビリをするってのにミニスカを穿いて行くなんて、何を考えてるんだって感じですよね。はい、色目を使うことしか考えてませんでした。小4の女、こわー。

でもただただいつも以上に恥ずかしい思いをするだけでした。タオルかけてくれないんだもん!!自分で自分の首を絞めてるだけ。

オスグッドシュラッター病も治ると、いよいよ整形外科を離れるときがやって来ました。もうお兄さんに会えなくなるんだと思うと、悲しくて寂しくて仕方ありませんでした。またどこか折れてほしい、痛くなってほしい、と願うほどでした。

通院が終わった後の私と理学療法士のお兄さん

整形外科通いが終わってからも、私とお兄さんの交流は続きます。

小学生の私とお兄さん

整形外科に通わなくなってからも、私はお兄さんのことが大好きでした。

自由帳の二人

でももう会えないから、代わりに自由帳にたくさんお兄さんの絵を描きました。お兄さんの隣には私がいて、二人は手を繋いでました。

好きなように描いてました。だって“自由”帳ですから。誰に見せるわけでもない、見せられるわけでもない、私だけの自由帳。

ある日、母にバレました。お兄さんの絵を描いてること。絵になった私とお兄さんが手を繋いでること。

余白のなくなった自由帳を捨てるとき、母がパラパラとめくって見てしまったらしいのです。

おい、何してくれてんだよ。なんでめくるんだよ。プライバシーの侵害!!!!!

私はしばらく母と目を合わせることができなくなりました。

妄想の二人

ほかには、妄想もしてました。風呂に入ってるときが絶好のチャンスです。誰にも邪魔されませんからね。

「お兄さんが私のことを好き」っていう妄想は、毎日毎日してました。湯船に浸かって目を瞑って、告白されてみたり、デートしてみたり、手を繋いでみたり……いろいろしました、いろいろ。妄想であれば誰かにバレることはないですからね。妄想は真の“自由”です。

そして私はこの妄想と共に大人になったと言っても過言ではありません。それはそれは刺激的でした。

高校生になった私とお兄さん

小4で整形外科を巣立ってからは、どこを故障することもなく高校生になりました。願いも虚しく。その代わり、今度は父が通うことになりました。膝に水が溜まったといって。

当時の私はプロの引きこもりでした。精神的な病気にかかってしまって。毎日時間を持て余してたわけですが、それを有効活用する気力も体力もなく、ベッドの上で一日中2ちゃんやmixiを眺めるだけの日々を過ごしてました。

でも卒業が近くなった頃には病状が良くなってきて、外へ出る気が少しだけ起きるようになってました。進学先も決まってて、「今のうちに体力つけとかなきゃな」って気にもなってました。

それで父が整形外科に行くとき、ついて行くことにしたんです。歩けば片道40分くらいかかる距離なんですが、徒歩で行くと言うので。これは良い運動になりそうだな、と思って。

整形外科に行くのは、9年ぶりでした。

あの頃と同じように、リハビリ室の中を遠目に覗いて、お兄さんを探しました。見つけたときの「いた///」って感じも、小4のときと同じでした。

お兄さんは相変わらず色黒で、黒髪の短髪で、体格が良くて、笑顔が爽やかで、かっこいいまま。久しぶりにお兄さんの姿を見られて、胸がいっぱいでした。

待合室でお兄さんに惚れ惚れしていると、懐かしい声が聞こえてきました。「長月ちゃんじゃん!!!」って。

言葉が出ませんでした。5年くらい家族以外の人間としゃべってないことを差し置いても。

まさか覚えててくれてるとは思いませんでした。最後に会ったの、小学生ですよ?見た目がだいぶ変わってます。それなのにすぐ私の名前が出てくるなんて……。

「嬉しいやら恥ずかしいやら」という気持ちも、お兄さんの爽やかバカデカボイスも、あのときから何も変わってませんでした。

引きこもりの影響で上手い会話はできてなかったと思いますが、たぶん、「もうすぐ高校を卒業して歯科衛生士の学校に行きます」くらいの報告はしたと思います。「衛生士さんか、いいね!!がんばってね!!」って言われたのは覚えてるので。

社会人になった私とお兄さん

私は引きこもりと高校を卒業して、大学に行って、卒業して、歯科衛生士として働き始めました。それまでお兄さんに会うことはありませんでした。市中病院の整形外科には行ったんですけど。

長年の引きこもりの代償で、大学時代に腰のヘルニアになってしまって、入院と手術をしたんですよね。救急車で運ばれてそこで診断されたので、お兄さんの整形外科には行ってないんです。

その後無事に就職したのですが、突然腰の痛みが激しくなって。「ヘルニア再発?」と思って、今度はお兄さんのいる整形外科に行ってみたんです。

お兄さんとは高校を卒業する前に会ったきりなので、約5年ぶりの再会になります。

待合室の椅子に座ってると、お兄さんがほかの患者さんを呼びに来ました。相変わらずかっこよくてぽわ~んとしてたら、「お、長月ちゃんじゃん!!!!!」って、私に気付いて声をかけてくれたんです。年を取っても何も変わらない私たち。一方はぽわ~んとしてるし、もう一方はバカデカボイスだし。

そして「きれいなお姉さんになっちゃって!!!」と続けるんですよ。目をまん丸にしながら。「患者さんを呼びに来たんでしょ?!」と思いながらも、「ゲヘヘ、こんにちは」って、挨拶しました。照れ隠しをしたつもりだけど、絶対隠せてません。だって、「ゲヘヘ」だもん。

まさかお兄さんに「きれいなお姉さん」と言ってもらえる日が来るなんて思わなかったですよ。感無量です。小学生の私が聞いたら泣いて喜ぶだろうよ。妄想が現実になるんだから。

腰の方は、若干ヘルニアになってるとのことでした。手術しても完璧に治すのは難しいんですね。

母になった私とお兄さん

お兄さんと最後に会ってから6年が経ちました。その間に私はあれよあれよと2児の母になってました。

それで2人目の子供が0歳と1歳のとき、保育園の内科検診で「O脚が度を越してるのでは?」と指摘されたんですよね。0歳のときは近所の整形外科に行って、特に問題はないと言われて、1歳のときはお兄さんのところに連れて行ったんです。2年連続で指摘されるんじゃな~、ほかの先生の意見も聞いてみたいな~、と思って。

久しぶりの待合室。子供と椅子に座ってたら、「え?!?!?!?長月ちゃん?!?!?!?!?!」って懐かしい声が。

今回は子供から目を離せなかったので、私はお兄さんを見てません。100%、お兄さんの方から私を見つけてくれたんです。

ビックリしました。

化粧も髪型も服装も雰囲気も、昔とは全然違うのに。面影がないくらい違うのに。それに今回は子供を連れてるから、尚更気付かないだろうと思ってたんですよ。私が母親になったこと、知らないので。

名前を見ればピンとくるかなとは思いましたけど。幾度となくバカデカボイスで呼んだ名前ですからね。でもカルテノールックで私だと気付くんですよ。目を合わせて存在をアピールしたわけでもないんですよ。すごすぎません?

出会って20年、初めてお兄さんとまともに話せました。引きこもりからも精神的な病気からも脱却して、それなりに社会経験もしたので。相変わらず赤面はしたけどね。

そして、お兄さんもお父さんになったってことを知りました。上の子が高校生だそうです。ちょっと悔しくなりました。母親が私じゃないから。

そして奥さんにすごく嫉妬しました。奥さんってどんな人なんだろうって、すごくすごく気になりました。

きっと、とびきりの美人ではないけど、ものすごく性格が良くていつも笑顔で明るい人なんじゃないかなと思いました。“とびきりの美人ではない”がミソです。お兄さんはたぶん、見た目の華やかさよりも内面の豊かさに惹かれる人だと思うので。私とは正反対の人だろうと思いました。こんなじとっとした人間ではないと。

子供のO脚の方はこちらでも、特に問題はないと言われました。ただのよくあるO脚でした。完全に遺伝だー。

三十路を超えた私とお兄さん

子供を連れて会ったときから4年が経ちました。今は母が整形外科に通ってます。お兄さんは変わらずそこで働いてて、よく母のリハビリを担当してくれるそうです。そこで私の話が出るのだとか。「そういえば長月ちゃんって……」といろいろ聞いてくるらしいです。

そして私の年齢が33歳だと聞いて、「え?!もうそんなになるんですか?!もう“長月ちゃん”なんて呼んだら怒られちゃうかな😅」と言ってたらしいです。

いいよいいよ。全然いい。呼んでくれ。これからも、もっとババァになっても、ずっと。

それよりも、33歳を「もうそんなに」と表現するのはやめて!世間的に私はもう若くないんだと言われてるみたいで、なんか嫌だ……まだまだ若いつもりでいるのに……。

あと、「長月ちゃんって美人さんですよね」と言ってたらしいです。就職したての頃に「きれいなお姉さん」と呼んでもらったけど、改めて「美人」というワードを使われると嬉しいな……。

またお兄さんに会いたくなりました。今の姿を見てほしいです。今の私もお兄さんの目に「美人」として映るかはわからないけど。

初恋の人に言いたいこと

お兄さんさ、私のこと好きでしょ?どこからともなく私の名前を呼ぶし、母の担当をする度に私の話するじゃん。私のこと美人って言うじゃん。

もうハッキリ言っちゃいなよ、好きって。言ったってどうにもならないんだからさ。お互いパートナーいるし、子供もいるし。

正直遅すぎるよ、25年越しの告白なんて。でもいいよ。ないよりずっとマシ。

だからほら、早く。

初恋の記憶よ、永遠にともに

認知症にならない限り、老いぼれ婆さんになってもお兄さんのことを思い出すんだろうなぁと思います。

そして胸を高鳴らせる。そしてゴートゥーヘヴン?

母の通院が終わるときは、ついて行ってみようと思ってます。「お兄さん!私、こんなになりましたよ!」って見せに。どんなだよって感じですけど。

もうだいぶ肝も据わってますので、「私、お兄さんのこと好きだったんだよね」くらいのことは言えそうな気がします。恥ずかしがらずに。絶対あたしからは言わないけどねっ!!!

9歳だった私は33歳に、23歳だったお兄さんは47歳になりました。今なら合法なのに、婚姻届が邪魔してくる!!

初恋は、実らないから良いのでしょう。いつまでも甘酸っぱく、美しいままであってほしいです。